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UFO初心者は UFOコンタクティー ジョージ・アダムスキーを知っておこう

UFOを見ただけでなく、宇宙人とも接触を重ねたアメリカ人としてジョージ・アダムスキーという方がおられるが、多くの方はすでに「アダムスキー型UFO」という昔ながらのUFOの形を想像される方ぐらいしかいないと思う。

実際にはもっと知られても良い人物だが、個性的な発言と、新宗教的な扱いをうけ、マスコミ等ではほとんど取り上げられない方となった。もちろん彼が撮影したとされるUFO写真への捏造疑惑、コンタクトしたとされる宇宙人を誰一人見ていないこと、そして彼とその周りの人間との意識の乖離などにより「嘘つき」呼ばわりされてしまう傾向はあったにせよ、我々UFO研究をするものとしては真摯に知っておくべき人物だと思う。

なぜなら今後UFOを見た者たちをどう扱ってゆくのか、そして地球外生命体とのコンタクトが起きると仮定した場合、誰が何を知っていたのか、誰が何を事前に伝えていたのか?ということは重要だからだ。

もし仮に彼らが正直に物事を伝えようとしていたのだとしたら、先んじたものが疎んじられ、先駆者やチャレンジャーが蔑まれる異常な社会であるからだ。

ただ、やはり体制側の公式発表というものは基本的には護りに入りがちであり、それを責めるのもお門違いではあろうが。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージ・アダムスキー

George Adamski

生誕 イェジ・アダムスキ
1891年4月17日
ドイツの旗 ドイツ帝国・ブロンベルク(現ポーランドの旗 ポーランド・ブィドゴシュチュ)
死没 1965年4月23日(74歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・メリーランド州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 作家、ユーフォロジスト、コンタクティー
著名な実績 宇宙人と空飛ぶ円盤との遭遇体験記の出版

ジョージ・アダムスキー(英: George Adamski、1891年4月17日 – 1965年4月23日)は、UFO研究家、「宇宙人と会見した」と自称したコンタクティー(英語版)の元祖として知られるポーランド系アメリカ人。宇宙人と空飛ぶ円盤との遭遇体験を書いた本はベストセラーになり(後述の著作を参照)、アダムスキーらコンタクティーによって新しいユーフォロジーの伝統が生まれ、数多のコンタクティーが現れた。宗教的ユーフォロジー(UFO宗教)の祖の一人である。彼が撮影した空飛ぶ円盤は、いわゆる「空飛ぶ円盤」の典型的なイメージとなっており、20世紀のポップカルチャーへの影響も大きい

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・アダムスキー

著作も実は数多く、全集として全10巻も出ているところからも、思想的なものにまでUFOとその存在との対話が昇華している人物であることは間違いないだろう。

UFOの発見

空飛ぶ円盤との遭遇体験

1950年代初期に、アダムスキーは空飛ぶ円盤に遭遇したと主張しはじめた。中でも有名なのは、1952年11月20日の出来事である。その日、アダムスキーが友人やジョージ・ハント・ウィリアムソン夫妻と共にモハーヴェ砂漠にいると、巨大な円筒形状の飛行体が出現した。それが自分を探していると感じたアダムスキーは車で人気のない場所へ移動した。するとその飛行体から発進した銀色の円盤が着陸したという。その後アダムスキーは皆と別れ一人で歩くと、一人の人間に遭遇した。身振りとテレパシーとで彼が宇宙人だと理解した。その宇宙人は金星人で、核実験への懸念をアダムスキーに伝えた。このとき仲間のジョージ・H・ウィリアムスンは金星人の足型を石膏でとった(「なぜに偶然にしても、足形をとる石膏の一式を所持していたのか?」など、疑問が多数ある)。

翌月の1952年12月13日には、アダムスキーは円盤の写真を撮影することに成功した。このとき撮影された空飛ぶ円盤は「アダムスキー型」と呼ばれ、これ以降世界各地で目撃され写真が撮影された。アダムスキーが撮影した写真は、反射望遠鏡のレンズで直接撮影(カメラを取り付けて)されたものであるので、カメラの望遠レンズで撮影されたものとは異なり、中央部にピントが合い、周辺はボケている。なお、当時の英国版と日本版の書籍に掲載された写真は、米国版のオリジナル写真に(円盤の輪郭などの)修正(補正)を加えたとみられる形跡があり、同じ写真であるのに異なったものに見えるという問題を生んでいるが、現在発行されている書籍の写真はオリジナルと見られる。1965年にメリーランド州でアダムスキーによって撮影された宇宙船の8ミリ映像はコダック社の光学物理学者ウイリアム・シャーウッドによって、8メートルほどの物体を実際に撮影した映像であると鑑定されている

彼は、デズモンド・レスリー(Desmond Leslie)との共著『空飛ぶ円盤実見記(Flying Saucers Have Landed)』で体験を公にして、一躍有名になった。その本のなかで、彼は、ケネス・アーノルド事件の1年前、1946年から空飛ぶ円盤をたびたび目撃し、52年11月20日には空飛ぶ円盤でやってきた〈オーソン〉という金星人と会見し、同年12月13日には鮮明なUFOの写真撮影にも成功した、と主張している。その写真が捉えていたのが、のちに〈アダムスキー型〉と称されるUFOだった。

 

宇宙人との接触

空飛ぶ円盤で有名なジョージ・アダムスキーが、1952年11月20日、アメリカカリフォルニアのモハーヴェ砂漠で、初めて出会ったと主張。ほぼ地球人と変わらない外見で、「額が広く、外に吊り上った灰緑の瞳の目、よく焼けたような肌」をしていたと言う。他にも、テレパシーで相手の心を読むこともできる。「オーソン」という金星人であると、アダムスキーは主張している。

ジョージアダムスキーを含めたUFOを見た、という人間はアメリカを中心に1950年代から急速に増えたとのことだが、その情報については下記のサイトをご確認いただきたい。

UFOオカルト伝説の謎 02.ジョージ・アダムスキーの空飛ぶ円盤同乗記(後編)

https://www.vice.com/jp/article/paq7kv/the-mystery-of-ufo-occult-legend-part-two-george-adamski-part2

この中の著述を引用すると、

1950年代、米軍関係者を始め、大勢がUFOを目撃した、と主張したのは事実であり、事実誤認であったとしても、不思議な体験に世間が戸惑っていたのは確かだ。そんな時勢のなか、米空軍はUFO調査組織を設立し、マスコミは宇宙人飛来の可能性や政府陰謀説を広めた。そんな風潮に便乗するように、コンタクティは、カルトなムーブメントを仕掛けた。

さらに、この風潮に、宇宙人と精神的に交信する、つまり、〈チャネリング〉によって宇宙人のメッセージを受け取った、と主張する人物たちも便乗した。そのなかで最も代表的な人物は、ヴァン・タッセル(Van Tassel)だ。タッセルは、航空技師を経て、カリフォルニア州ジャイアント・ロックにある飛行場の跡地を借りてカフェを営んでいた。彼は、独自の神秘主義をベースとした結社をつくり、〈十二人評議会〉と称する弟子たちに囲まれて、宇宙とのチャネリングを繰り返した。1951年、タッセルは〈惑星シャンチャ〉の宇宙ステーション司令官、アシュターからの精神的コンタクトをきっかけに、数々のメッセージを受け取った、と主張した。

とある。実際UFOの存在自体は米国政府が否定すればするほどそれをいぶかる者たちが出てきたのは事実であり、UFO自体の撮影や、チャネリングによる宇宙人との交流、そして実際にUFOに乗る、などの宇宙人との直接の接触体験も多く発表されるようになった。

一方、米国空軍もUFOに関する調査を行なっていなかったわけではなく、調査報告書を出している。

しかし1954年、米空軍は、前年のCIAによる〈ロバートソン査問会〉でUFO調査組織〈プロジェクト・グラッジ〉による成果が乏しい、という批判を受けている。

UFO関連の人たちの淘汰、ふたつの理由

さらに宇宙関連の米ソの技術開発競争をひとつのきっかけとして、アダムスキーを含むUFOコンタクティーは世間の話題から少しづつ遠ざかってゆくことになる。

彼らが方向転換を迫られた理由

1、一つ目の出来事は米空軍のUFO調査組織の指揮官として、プロジェクト・サインからブルーブックにまで長年関わってきたエドワード・ルッペルト大尉による『未確認飛行物体に関する報告(Report On Unidentified Flying Objects)』(1956)の出版だ。

米空軍によるUFO調査は機密扱いであったが、定年を迎えての退役をきっかけに、ルッペルト大尉は、秘密を個人的な見解としていち部公開した。それが真摯なUFO研究への振り戻しのきっかけとなった。また、ルッペルト大尉は、UFO信奉者ではないが、UFO目撃の現場に赴き、目撃者からの証言をもとに調査報告書を作成しており、彼の著書はUFO議論においても最も信頼に値する資料になった。

ここでは基本的にUFOの存在は地球外生命体ではなく、「見間違い」である、という結論が出ており、UFOコンタクティーたちを冷笑する風潮をうむ大きなきっかけとなったという。

2、さらにもうひとつの理由は、より大きな衝撃に米国全体が動揺した〈スプートニク・ショック〉だという。1957年10月4日、ソ連が人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した。これは、核兵器を保有するソ連が高度なミサイル技術を確立し、米国本土への核ミサイル攻撃が可能となったことを意味していた。翌58年、米国は、NASA(アメリカ航空宇宙局)を設立した。ここから米ソ宇宙開発競争の火蓋が切られ、人類の宇宙進出が現実となった。

このふたつの出来事から、コンタクティは、自ら主張する宇宙人との会見が時代遅れになったと感じていた。

実際、アダムスキーは、海外に活路を求め、59年1月から6月にかけて、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、オランダ、スイスなどで講演した。61年、彼の3冊目となる『さらば空飛ぶ円盤(Flying Saucers Farewell)』が出版されるが、同書の内容は、新たな円盤搭乗の体験ではなく、彼が独自に解釈した、壮大なスペースブラザーの宇宙哲学だけだった。

1961年5月25日、若くしてアメリカ大統領となったロバート・ケネディ(Robert Kennedy)が、10年以内に人類を月に送る、と宣言して、アポロ計画がスタートした。人工衛星スプートニク、同年のガガーリン有人宇宙飛行で、宇宙開発においてソ連に先を越されていた米国は、国家の威信をかけて、巻き返しを図ろうとしたのだ。アポロ計画以降、宇宙についての現実的なデータが収集され、他の惑星に、人間と同じような宇宙人がいる可能性も完全に否定された。もはや、スペースブラザーと会見したと主張するアダムスキーの著作は、彼の信奉者以外には、顧みられなくなった。

アダムスキー氏の著作の一部抜粋

日本でのアダムスキー作品の翻訳者は久保田八郎氏だが、その作品の一部を紹介した感想文がありましたので、引用させていただきます。宇宙哲学というのは宇宙人存在からチャネリング的に意識下に入るものをまとめたものか、直接宇宙人存在からメッセージを受けたものを体系的に記述したものと思われますが、現在の地球の科学技術をベースにした話とは若干違うものであるので、その差異が批判を浴びる一因かもしれません。ただだからといってアダムスキー氏の登場とその後のUFO目撃事例の増加は明らかなことから、多くの方の興味をいまだUFOやそのほかの地球外生命体の存在に対して抱いているのは間違いないことでしょう。

http://blog.livedoor.jp/mysticart/archives/1516651.html

彼の書いた『UFOと宇宙哲学の行方』という本を、今日は紹介します。
アダムスキー哲学をわかりやすく噛み砕いて説明してくれています。

P45
アダムスキーが伝えた宇宙哲学によると、地球人は絶対に分割してはいけないものを分割させるために進歩が遅いのだという。これを逆に、万物一体の線に沿って開発を進めるならば、あらゆる面で急速に新発見が行われ、人間も精神的肉体的に飛躍的な進歩を遂げるだろう。
万物一体というのはきわめて抽象的だが、人間の場合は“万物一体感”というフィーリングを極限にまで押し進めるのである。この点で、「進化した惑星の人たちは、自分によって観察されるものを、あたかも自分自身であるかのように感じながら意識的にその物を見る。」とアダムスキーは『生命の科学』の中で述べている。これはテレパシー、遠隔透視などの能力開発の根本的な基礎となるものであろう。ところが地球人の感覚では、何を見ても個別感、分離感しか起こさない。そのため、地球人の肉体細胞の重要な機能を持つ部分は眠り込んでしまい、テレパシーなどの能力が出てこない。これを出すためには、自分の肉体の個別感を“全体”との一体感に切り替えて、眠っている細胞を活性化させる必要がある。そして練習を重ねるのである。

P46
最も重要なのは、大宇宙全体を一つの意識対と見て、その創造的意識の流れが万物を生かしていると認識し、人間もその創造的意識に生かされていると自覚することにある。
「大宇宙が自分自身である」という強烈な想念とプラスのフィーリングを持ち続けるならば、地球人も病気にならず、驚異的な長寿を保つことができるだろう。

P159
火星人ファーコンの言葉
「私たちは、あなた方の言う失望なるものを知りません。それは消極的な言葉です。ずっと昔、私たちは信念の力、希望の力、絶対にあきらめない力などを学びました。昨日失われたゴールは、明日勝ち取ることができます。」

P169
人間は宇宙の外側ではなく、内側で創造されています。ちょうど母親の子宮の中にいる胎児は、母親と一体化して母親に守られていますが、これと同様に、人間も宇宙と一体であって宇宙に守られています。
したがって「私は大宇宙、大宇宙は私」というフィーリングを絶えず持ち続けることが重要です。

P172
自分のマインド(心)、つまり目と耳と鼻と口の四つの感覚器官からなるマインドを完全に静めて、内部の腹の底から湧き起こってくる印象を聞き取るようにするといいのです。

ここで重要になるのは宇宙の創造主の存在を明確に認識する必要があるということです。スペースピープル(宇宙人)の生き方には、この「大宇宙の創造主」の概念が根底をなしているとのことで、彼らは眠っているときでも創造主のことを忘れないとアダムスキーは述べています。大体に、大宇宙の創造主(Creator)という概念は、私たちが本当の意味での宇宙的な想念を持つためのキイとなるようです。

P174
いま地球人の中に、無限とも言える宇宙の広大さ、人類が居住していると思われる無数の惑星や無数の天体を擁する無数の銀河系などの生命や文明に、思いを馳せ生きている人がどれほどいるかと言いますと、ほとんどいないでしょう。つまり地球人は大宇宙の中のケシ粒ほどでもない惑星の表面でしか“浮き世”や“人生”や“世界”というものが感じられないのです。これを脱却して大宇宙そのものを実感する、と言うより体感することが、真の宇宙的人間になる上で重要です。そのために宇宙の創造主という根元的なものを把握することが重要です。

P209
アダムスキーは「生命の科学」で次のように述べています。
「まず我々はアイデアを産み出す意識なるものを考えてみましょう。言い換えれば、何かを現象化させようと思う場合に、それを意識の能力に対する絶対的な信念と確信を持って、その物事の意識的な青写真を持つのです。次にその青写真のアイデアを捨てないようにし、結果(実現)に対する絶対的な確信を持ち、言葉による命令を与えながら、明瞭なイメージを描きなさい。」

P224
地獄のような生活から脱却して天国のような平安な生活に入るにはどうしたらいいのか?解答はただ一つ。自分の想念の根本的な切り替えにあります。具体的に言えば、自分をどんなに非難攻撃する人がいても、絶対に相手を悪く思わないようにし、むしろ「あの人は本当は良い人なのだ。」と思い、相手がにこやかに微笑して自分と握手しているイメージを鮮明に描き続けるのです。

実際に強烈な善意を起こして、「あの人は本当は良い人なのだ」と唱えながら和解してしまったイメージを心の中で描き続けることが根本的に重要です。これが奇跡を起こす方法です。

もっと高次元な想念として「万物と万人は良くなる、必ず良くなる!」という言葉を心中で唱え、この世界が天国のようになったイメージを描きながら生きれば、これは最高です。なんとなれば、万物と万人を創造し支えている宇宙の創造パワーたる宇宙の意識なるものは、万物と万人の生成発展を意図しているはずで、少なくとも人間を苦しめるために人間を創造したとは思えません。したがって、「万物と万人が良くなる!」という想念波動は宇宙の意識の生成発展波動と同調することになると考えられるからです。これを実践する人には、すばらしい奇跡が次々と発生するでしょう。これが絶対的に安全に生きる秘訣です。

大宇宙との一体感が高まれば高まるほど、他人の難儀が他人事とは思えなくなってきますから、今度は他人を助けようとする意欲が高まるのです。

著作

著作者名が「ジョージ・アダムスキー」の場合は著作者名の記載を省略する。それ以外の場合は著作者名を明記する。

旧アダムスキー全集

新アダムスキー全集と区別するため、旧アダムスキー全集と表記する。

  • 『アダムスキー全集』1(宇宙からの訪問者)、久保田八郎 訳、文久書林、1983年6月。
  • 『アダムスキー全集』2(UFO問題の真相)、久保田八郎 訳、文久書林、1983年9月。
  • 『アダムスキー全集』3(UFOとアダムスキー)、久保田八郎 訳、文久書林、1983年11月。
  • 『アダムスキー全集』4(宇宙哲学)、久保田八郎 訳、文久書林、1983年12月。
  • 『アダムスキー全集』5(テレパシー開発法)、久保田八郎 訳、文久書林、1984年1月。
  • 『アダムスキー全集』6(生命の科学)、久保田八郎 訳、文久書林、1984年4月。
  • 『アダムスキー全集』7(アダムスキー論説集)、久保田八郎 訳、文久書林、1984年4月。

新アダムスキー全集

旧アダムスキー全集と区別するため、新アダムスキー全集と表記する。

  • 『新アダムスキー全集』1(第二惑星からの地球訪問者)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年4月。
    • 『第2惑星からの地球訪問者』久保田八郎 訳、中央アート出版社〈新アダムスキー全集 1〉、1991年7月、改訂。
  • 『新アダムスキー全集』2(超能力開発法)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年5月。
  • 『新アダムスキー全集』3(21世紀/生命の科学)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年6月。
  • 『新アダムスキー全集』4(UFO問答100)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年8月。
  • 『新アダムスキー全集』5(金星・土星探訪記)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年10月。
  • 『新アダムスキー全集』6(UFOの謎)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年11月。
  • 『新アダムスキー全集』7(21世紀の宇宙哲学)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1990年12月。
  • 『新アダムスキー全集』8(UFO・人間・宇宙)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1991年1月。
  • 『新アダムスキー全集』9(UFOの真相)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1991年4月。
  • 『新アダムスキー全集』10(超人ジョージ・アダムスキー)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1991年8月。
  • アダムスキー 述、アリス・ポマロイ 著『[volume=11(肉体を超えて大宇宙と一体化する方法) 新アダムスキー全集]』久保田八郎 訳、中央アート出版社、1997年8月。
  • 『新アダムスキー全集』12(宇宙の法則)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、2004年12月。
  • 『新アダムスキー全集』別巻(UFO――宇宙からの完全な証拠)、久保田八郎 訳、中央アート出版社、1991年7月。。

 

単著

  • Adamski, George (1949), Pioneers of space: A trip to the moon, Mars and Venus, Leonard-Freefield Co.
    • 『地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい! UFO基本教書』益子祐司 訳、徳間書店〈「超知」ライブラリー 069〉、2011年8月。 – 原タイトル:Pioneers of space
  • Adamski, George (September 1955), Inside the space ships (Hardcover ed.), New York: Abelard-Schuman
    • G.アダムスキ『空飛ぶ円盤同乗記』久保田八郎 訳、高文社〈ベスト・セラーズ・シリーズ〉、1957年。
    • 『UFO同乗記』大沼忠弘 訳、角川書店〈角川文庫〉、1975年。
    • 『空飛ぶ円盤同乗記』大沼忠弘 訳、角川春樹事務所〈ボーダーランド文庫 26〉、1998年6月。 – 原タイトル:Inside the space ships
  • ジョージ・アダムスキ『精神感応――宇宙語の理論と応用』久保田八郎 訳、宇宙友好協会〈宇宙シリーズ 第1期 第1巻〉、1960年。
  • Adamski, George (1961), Flying Saucer Farewell (Hardcover ed.), New York: Abelard-Schumann
    • G.アダムスキ『空飛ぶ円盤の真相』久保田八郎 訳、高文社、1962年。
  • ジョージ・アダムスキ『精神感応 無言の会話術』久保田八郎 訳、文久書林、1963年。
  • アダムスキ『空飛ぶ円盤とアダムスキ 死と空間を越えて』久保田八郎 編、高文社、1969年。
  • G.アダムスキー『生命の科学』久保田八郎 訳、文久書林、1970年。
  • 『宇宙からの訪問者 偉大な惑星人との会見記』久保田八郎 訳、ユニバース出版社〈ユニバースUFOシリーズ〉、1976年。
    • 『宇宙からの訪問者 偉大な惑星人との会見記』久保田八郎 訳、ユニバース出版社、1981年5月、限定保存版。
  • 『宇宙哲学』久保田八郎 訳、たま出版、1976年。
    • 『アダムスキーの宇宙哲学 空飛ぶ円盤の惑星文明とは』久保田八郎 訳、たま出版、1984年11月、新装版。
  • 『アダムスキーの宇宙維新』藤原忍 編訳、たま出版、1991年2月。 – 背・表紙の書名:Universal jewels of life、奥付の書名:『宇宙維新』。
  • アダムスキーほか『UFOコンタクティー ジョージ・アダムスキー』遠藤昭則 編、久保田八郎 訳、中央アート出版社、2010年12月。