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黙示録とは何か?

how to avoid the new apocalypse

黙示録とは一体なんでしょうか?人類が滅亡に至るプロセスを詳細に過去に予言したキリスト教の聖者、それがある時点で記述通りであると思うような、当時の未曾有の事件や事故が起きた時、人々はその記述に驚愕します。

過去数多くの予言や人類の終末を予知したとみられる黙示録は存在しています。

それではもう一度、この黙示録について詳細にみてゆきます。

TRANS.bizよりまずはみてゆきます。

「黙示録」の意味は「神からの啓示録」

キリスト教における「黙示録(もくしろく)」の「黙示」の意味は、「神が人に表し示すこと」です。「黙示」は「啓示」と同じ意味であり、「黙示録」とは、「啓示録」であると言えます。

なお、一般的な意味での「黙示」「啓示」は、人間の力ではわからなかったことを明らかにすること、あるいは、秘密が明らかにされること、という意味です。

「未来に起こる破滅的な災害」というイメージは『ヨハネの黙示録』から生まれた

「未来に起こる破滅的な災害」という意味合いで「黙示録」の語が用いられることが多いようです。これは、『新約聖書』に収められた『ヨハネの黙示録』で語られる、世界の終わりに起こる破滅的な災害の記述から喚起されるイメージによるものです。

『旧約聖書』『新約聖書』の成立時にはすでに多くの黙示録が存在していた

『旧約聖書』に収められた黙示録には、『ダニエル書』や黙示的な預言書として『エゼキエル書』などがあり、『新約聖書』には『ヨハネの黙示録』が収められています。

預言書とは神の言葉を預かるものという意味

特に『旧約聖書』における預言とは、「律法に関する内容」(トーラー)、「預言書としての内容」(ネビイーム)、「諸書に関する内容」(ケスビーム)の第二の部分にあたる。

一般に預言活動それ自体は、古代オリエント世界に広くみられる現象であり、多くの場合、楽器を媒介としてトランス状態に入り、神の意志を人々に告げる祭司的職能として機能した。

『旧約聖書』の場合、預言者は、神のことばを神にかわって民に語る神の代弁者(ナービー)として登場する。

『旧約聖書』の預言者は、紀元前8世紀を境に、前預言者(「ヨシュア記」「士師(しし)記」「サムエル記」「列王紀」)と後預言者(「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」「十二小預言書」)に分かれるが、通常、預言書という場合には後預言者の書をさしている。

ダニエル書はイエス・キリストの生誕と死を予言していた?

ダニエル書は前6世紀にダニエルがバビロンで書いたとされていた預言書で正当な預言書として知られています。

この預言は,イエス・キリストの生誕、復活,昇天により,天でキリストが勝利し,そして,新しい国が来ることの預言とされており、イエス・キリスト自身も引用していることからも明らかではないと言われています。

『新約聖書』においては、黙示録は『ヨハネの黙示録』のみですが、使徒パウロの書簡や、「福音書」の中にも黙示録や終末論をテーマにした内容が語られています。

『旧約聖書』は、紀元前6世紀ころまでにユダヤ教の聖典として成立したもので、『新約聖書』は、2世紀の前半にまとめられたものです。そのため、そこに収められた黙示文学は、それ以前に成立していたことになります。

『ヨハネの黙示録』は『新約聖書』に収められた正式な預言書

『ヨハネの黙示録』は、『新約聖書』の最後に収められています。パトモス島でヨハネが見たという幻視による黙示(啓示)が書かれています。ヨハネがイエスの使徒ヨハネであるかどうかは、意見が分かれています。

『ヨハネの黙示録』は、397年に開催されたカルタゴ会議において、現在の27巻から成る正典『新約聖書』の中に組み込まれました。632年のトレド会議では、復活祭から聖霊降臨祭の間、教会で読まれなければならないとその役割が確認されました。

「世界の終末」と「最後の審判」、そして「新しい世界の到来」が記されている

『ヨハネの黙示録』は、世界の終末の様子と、再臨したイエス・キリストによる最後の審判、そしてそのあとに続く新しい世界の到来が記されています。その幻想的で衝撃的な内容は、キリスト教美術の主題として繰り返し表現されてきました。

その内容は、七角七眼の子羊が巻物の七つの封印を次々に解くと、地上で戦争や飢餓などが起こります。第七の封印が解かれると、七人の天使に七つのラッパが与えられます。天使がラッパを吹くと、さらに激しい災いが起こり、地上の悪が滅びるとともに世界が終末を迎えます。

その後イエスと殉教者が支配する王国が千年続きますが、封印されていたサタンが再び現れます。しかし天から火が降り注いでサタンは滅ぼされます。

イエスによる最後の審判が行われ、善人は祝福されて神の国へ、悪人は永遠の罰を受けます。新しい天と地、新しいエルサレムが現れます。

ヨハネの予言は高度な階層構造によって描かれている

ヨハネの黙示録の7つのラッパというのはもっとも有名な一節ですが、この7つのラッパが高らかになる前に、予兆が起きて来ます。その予兆から本編、そしてクライマックスの「鉢からこぼれ落ちる7つのもの」、という階層構造になっているのです。あるブログに下記のような図が書いてありました。引用いたします。

つまり本編自体は下記のようなものが起きると言われています。

第一のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう。

第二のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』巨大な山のような火の固まりが海の中に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。

第三のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』”苦よもぎ”という名の巨大な彗星がすべての川の三分の一とその水源の上に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。

第四のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』太陽の三分の一、月の三分の一、空の星の三分の一が壊れ、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。

第五のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』1つの星が地上に落ちてきて、底なしの淵まで通じる穴を開け、アバドンを呼び出す。額に神の印のない人達を襲い、さそりにさされる時のような苦痛を五カ月間与える。

第六のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』四人の御使が解き放たれる。彼らは二億人の騎兵隊を引き連れて、その馬の口から出る火と煙と硫黄で人間の三分の一を殺させた。

第七のラッパ吹き
『ヨハネの黙示録』世界に最終的な終末が訪れる。この終末において、悪魔は神との戦いに敗れ、神に選ばれなかったすべての人々が死ぬことになる。

 

封印の幻は一種の予告編

つまり7つの封印が解かれた時、ラッパの一つ目が鳴り響くということです。

私たちは、第七の封印の内容として七つのラッパがあり、第七のラッパの内容として七つの鉢があることを見ました。
ここで、「封印」「ラッパ」また「鉢」の関係はどうなっているのかについて、もう一度詳しく見てみましょう。

封印の幻は、ちょうど映画の”予告編”のようなものなのです。映画館では、よく近日上映の映画の予告編が見せられます。
予告編は、映画の幾つかの場面を人々に見せることにより、実際の映画がどのような雰囲気を持ったものかを示します。それと同様に、封印の幻という”予告編”は、終末の時代に関するラッパの幻の”本編”に入る前に、その幾つかの場面を見せるものとなっているのです。

封印の幻について、詳しく見てみましょう。

第一の封印に表徴される預言的幻は、”勝利”です。
「小羊(キリスト)が七つの封印の一つを解いたとき・・・・私(ヨハネ)は(預言的幻のうちに)見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った」(黙示六・一~二)。
この「勝利」は、終末の時代における福音宣教を象徴するものと思われます。イエス・キリストは、
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終わりの日が来ます」(マタ二四・一四)
と言われました。患難時代の苦難の中でも、福音は勝利をおさめていくのです。

つぎに、第二の封印の幻は、戦争の多発です。
「第二の封印を解いたとき・・・・別の火のように赤い馬が出てきた。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が互いに殺し合うようになるためであった」(黙示六・四)。
この幻は、地上における戦争の多発を表徴しているものです。イエス・キリストは、
「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょう。・・・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がります」(マタ二四・六~七)
と言われました。

第三の封印の幻は、ききんです。
「第三の封印を解いたとき・・・・私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが・・・・こう言うのを聞いた。『小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない』」(黙示六・五~六)。
「一デナリ」は、日雇い労働者の一日分の給料に相当します。これは、極端な食糧不足で価格が上昇したことを言っているのです。これについてイエス・キリストは、
「方々にききん・・・・が起きます」(マタ二四・七)
と言われました。

第四の封印の幻は、多くの”死”です。
「第四の封印を解いたとき・・・・私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデス(よみ=死者の世界)がつき従った。彼らに、地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣(独裁者)によって殺す権威が与えられた」(黙示六・七~八)。
患難時代には多くの人々が、戦争や、ききんや、死病や、世界的独裁者(象徴的に獣と呼ばれる)の圧政によって死ぬのです。

「これに乗っている者の名は死といい……」

第五の封印の幻は、患難時代中のクリスチャンへの迫害と、殉教者たちに関する幻です。
「第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々の魂が祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。
すると彼らの一人一人に白い衣が与えられた。そして彼らは、『あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数の満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい』と言い渡された」(黙示六・九~一一)。
これについてイエス・キリストは、
「人々は、あなたがたを苦しい目に会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。・・・・しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」(マタ二四・九~一三)
と言われました。

つぎは第六の封印の幻ですが、私たちはこれにとくに注目すべきでしょう。この幻は患難時代のあと、千年王国も終わって、天地が過ぎ去り、最後の審判の法廷が開かれる時のものだからです。
第六の封印を解いた時・・・・天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された」(黙示六・一二~一七)。
これは明らかに、天地が過ぎ去る時・・万物更新の時のことを言っています。「患難時代」の後に「千年王国」があり、そののち天地は過ぎ去り、最後の審判の法廷が神の御座において開かれるのです。
第六の封印の幻は、その時のことまで垣間みさせているわけです。これは「封印の幻」が、”本編”預言に入る前の、いわば”予告編”だからなのです。
先に、もし封印の幻が七つ終わった後にラッパの幻の出来事に入ると考えてしまうと、何がなんだかわからなくなってしまうと書きましたが、その理由はここにあります。
六つの封印の幻は、本編預言に入る前の、一種の”予告編”なのです。予告編では、終末の時代のおもなトピックスを、いくつかかいま見させています。ですから第六の封印の幻では、万物更新の時のことまで垣間みさせているのです。

最後に、第七の封印が解かれると、いよいよ巻き物が開かれます。
 封印が全部解かれるので、はじめて巻き物が開くのです。
巻き物が開くと、”本編預言”が開始されます。患難時代について、さらに詳しい預言がなされるのです。
第七の封印が解かれるとともに、巻き物の内側に記された「七つのラッパ」の預言が解き放されます。この七つのラッパの幻が、”本編”の預言なのです。

ラッパの幻が本編

本編預言である七つのラッパの幻を見てみましょう。

まず、第一のラッパに表徴される預言的幻は、地上に対する災いの幻です。
第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった」(黙示八・七)。

つぎに第二のラッパの幻は、海に対する災いです。
第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。すると海の中にいた命のあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた」(黙示八・八~九)。

第三のラッパの幻は、川に対する災いです。
第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川々の三分の一とその水源に落ちた。この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」(黙示八・一〇~一一)。
これら第一、第二、第三のラッパの幻に示された災害は、たとえば直径数キロ~十キロ程度の大隕石、または小惑星が地球に衝突したような際に引き起こされる災害を想起させるものです。大隕石または小惑星が地球に衝突すると、それは大気圏突入の際に火だるまになって落ちてくるので、巨大な火、または血の塊のように見えるでしょう。
それが「地上」に落ちれば、巨大な地震を引き起こし、さらには落下地点からかなり広い範囲にまで、猛烈な熱によって多くのものを焼き尽くすのです。それが「海」に落ちれば、巨大な津波を引き起こすほか、猛烈な熱が多くの海洋生物を死に至らせるはずです。
さらに、落下地点の付近に原子力発電所があるような場合は、それが破壊されて放射能が漏れだし、多くの「川の水を汚染」するでしょう。
かつてロシアで、「チェルノブイリ原子力発電所」が爆発事故を起こして放射能が漏れだしたとき、川が汚染されて多くの人が死にました。この「チェルノブイリ」は、ロシア語で「苦よもぎ」の意味です。

チェルノブイリ原発の事故。
「チェルノブイリ」とは「苦よもぎ」の意味だ

もし将来、大隕石または小惑星の地上への落下により、原子力発電所が破壊され、放射能が漏れ出すことがあれば、人々はかつての「チェルノブイリ発電所」の記憶に従い、それをチェルノブイリ(苦よもぎ)と呼ぶに違いありません。
実際、今日多くの自然保護団体は、原子力発電所の事故を心配して、「第二、第三のチェルノブイリを起こしてはならない」と言って運動を展開しています。
これらが、第一、第二、第三のラッパで言い表されている災害であるとも考えられます。

第四のラッパは何でしょうか。
科学者によれば、もし大隕石あるいは小惑星が地球に衝突すると、その衝撃により莫大な量のチリが空高く舞い上げられ、大気上空の成層圏にまで達するといいます。それは上空で広い範囲をおおい、長い間地上に暗黒をもたらすはずです。
そのため、その期間は太陽や月や星が、地上からはよく見えなくなるでしょう。「第四のラッパ」の幻で言われていることは、そのことかも知れません。
第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった」(黙示八・一二)。
このように第一~第四のラッパの災いは、陸・海・川・空における自然災害です。これらの自然災害で被害を受ける人々も少なくありません。
しかし、第五のラッパ以降、その災いはさらに直接的に人間に及んでいきます。

第五のラッパの幻は、「額に神の印を押されていない人々」に対する災いです。
彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された」(黙示九・四)。
額に神の印を押されていない人々には災いが下り、一方、印を押された人々は、この災いの中でも守られるのです。聖書によると、すべてのクリスチャンは、「聖霊による証印」を押されています(エペ一・一三)
額にこの神の印を押されていない人々に対して、災いが下るというのですが、それはどんな災いでしょうか。それはおそらく一種の疫病のようです。
「人間にだけ害を加えるように言い渡された。しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである}(黙示九・四~六)。
この人間にだけ与えられる苦痛は、おそらく一種の疫病によるものでしょう。そしてその疫病が猛威をふるう期間は、「五か月間」です。

第六のラッパの幻は、人類の三分の一の人々の死滅と、異邦人によるエルサレム蹂躪(じゅうりん)に関する幻です。
これらの三つの災害、すなわち彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された」(黙示九・一八)。
黙示録が記された当時(一世紀)、人類の三分の一が一度に死ぬなどということは、ほとんど考えられないことでした。しかし、核爆弾を持つ現代世界にあっては、それも充分あり得るようになっています。
またこれに続いて、聖都エルサレムが三年半にわたって踏みにじられる、という出来事が起きます。
「彼ら(異邦人)は、聖なる都を四二か月の間踏みにじる」(黙示一一・二)。

聖都エルサレムが3年半にわたって踏みにじられる

しかし、異邦人に踏みにじられているこの四二か月=三年半の間においても、神の二人の預言者がエルサレムに現われ、預言活動をします。二人の預言者はその三年半の最後に、その頃世界に台頭する独裁者(獣)に殺されます。しかし三日半の後によみがえり、人々の見ている中を昇天します(黙示一一・一一~一二)。

最後の第七のラッパの幻は、患難時代のクライマックスに関するものです。
第七のラッパは、使徒パウロが「終わりのラッパ」(一コリ一五・五二)と言い表したものであり、最も重要なものです。
第七のラッパが吹かれると、次々に驚くべき出来事の預言的幻が示されます。三年半にわたって最後の活動をする「獣」(悪の独裁者)のこと、キリストの再臨、キリスト者の携挙(黙示一四・三)、そしてキリストによって地上の悪に対して下される審判(黙示一四・一九)などに関する預言的幻です。
これらのことが、第七のラッパの時・・すなわち患難時代の末期に起きます。
「七つの鉢の災害」は、この第七のラッパの出来事の一部です。地上の悪に対するキリストの審判は、「七つの鉢の災害」として示されているのです。
「七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りは、ここに窮まるのである」(黙示一五・一)。

地上の悪に対する神の裁きを実行する天使たち

「七つの鉢の災害」は、第七のラッパの幻の中で起きることであって、”本編”預言のクライマックス部分なのです。
このように、まず封印の幻という”予告編”があり、つぎにラッパの幻という”本編”の預言に入り、最後に、鉢の幻という”クライマックス”の記述があるのです。

鉢の幻は患難時代のクライマックス

「鉢」で表徴される預言的幻について見てみましょう。

第一の鉢は、獣(独裁者)を拝む人々に対する悪性のはれものの災いです。
「第一の御使いが出て行き、鉢を地にむけてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた」(黙示一六・二)。

第二の鉢は、海への災いです。
「海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ」(黙示一六・三)。
かつて第二のラッパの時には、海の中で死んだのは「三分の一」でした。しかし第二の鉢の時には、その残りもすべて死ぬのです。

第三の鉢は、川と水の源への災いです。
「第三の御使いが、鉢を川と水の源にぶちまけた。すると、それらは血になった」(黙示一六・四)。

第四の鉢は、太陽の炎熱です。
「太陽は火で人々を焼くことを許された。こうして人々は、激しい炎熱によって焼かれた。しかも彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった」(黙示一六・八~九)。
これは炎天下のもと、何らかの要因が重なって、気温が激しく上昇することを意味しているように思えます。

第五の鉢は、暗黒です。
「獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。そしてその苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった」(黙示一六・一〇~一一)。
炎天下の次には、黒雲が何日も覆う日が続きます。そのため、気温が極度に下がり、人々は苦しみもだえるでしょう。

第六の鉢は、ハルマゲドンの戦いの準備です。
「(大ユーフラテス川の)水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。・・・・彼ら(悪霊)は、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に、王たちを集めた」(黙示一六・一二~一六)。
ハルマゲドンとは、メギドの丘という意味で、イスラエル北部の地です。そこに多くの軍隊が、イスラエルに攻めいるために集結します。しかし、やがてキリストが再臨し、彼らを滅ぼされます。それが有名な「ハルマゲドンの戦い」です。
それはいわゆる”人類絶滅の核戦争”のことではありません。キリスト対地上の悪の勢力の戦いなのです。これについては、あとでまた見ましょう。

第七の鉢は、巨大地震、その他の天変地異、および大バビロン(終末の時代に世界を支配する都)の滅亡です。
「大きな地震があった。この地震は、人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな強い地震であった。また・・・・大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。また一タラント(約三五キログラム)ほどの大きな雹が、人々の上に天から降ってきた。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った」(黙示一六・一八~二一)。

大バビロン(世界支配の都)の滅亡

こうした天変地異については、イエス・キリストは次のように預言したとされています。

「その時には、世の初めから今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。・・・・太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます」(マタ二四・二一、二九)。

第七の鉢が終わると、続いて天が開かれ、キリストが地上に再臨されます。彼はハルマゲドンの地で、獣とその軍勢を破られます(黙示一九・一一~二一)。キリストは彼らに審判を下し、地上から悪を一掃されます。

このように患難時代には、とくに末期になると、激しい天変地異も起きるようになります。患難時代の苦難は、初期から末期にかけて、だんだんと激しいものになるのです。

ヨハネの黙示録は新約聖書の最後の書

「ヨハネの黙示録」は、新約聖書の一番最後の書です。著者のヨハネが神に見せてもらった未来の光景を描いたとされるこの書には、戦乱や飢饉、大地震など、ありとあらゆる禍が書かれています。天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子も記されています。
この書が記されたのは、ローマ帝国のドミティアヌス帝の治世末期の紀元96年頃、あるいはネロ帝の治世末期である68年頃と考えられています。どちらの皇帝も、キリスト教徒を迫害していました。著者のヨハネはイエスの十二使徒の一人とされることが多いのですが、はっきりしたことはわかりません。当時ヨハネは迫害に遭い、エーゲ海の孤島パトモス島に流されていました。ある日、ヨハネは神の啓示を受け、未来の出来事を目にします。それを書き留め、小アジア(現在のトルコ西部)にある7つのキリスト教信者の団体へ手紙を送ったという設定になっています。
ヨハネの見た啓示は、次のようなものでした。

天の玉座に神がいて、周囲を24人の長老と、ライオン、雄牛、人間、鷲(わし)にそれぞれ似ている4つの生き物が取り囲んでいました。神の手には巻物があり、7つの封印で封じられていましたが、7つの角と7つの目をもつ小羊が一つひとつ封印を解いていきます。小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲います。小羊が第7の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて、一人ひとりにラッパが与えられました。今度は天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲います。第7の天使が最後のラッパが吹くと、最後の審判が行われることが予告されます。
さらに、7人の天使が7つの鉢に入れた神の怒りを地上に注ぎ、世界に終末が訪れます。救世主イエスが再臨し、神を信じ正しい行いをした人々は復活し、ともに地上を1000年間統治します。1000年後に悪魔が再び現れますが、天から炎が降り注ぎ滅びます。これが本当の世界の終末です。最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができます。そして最後に、救世主イエスの再臨はまもなくだと伝え、黙示録は終わります。

アバドン(Abaddon)とは、『ヨハネの黙示録』に登場する奈落の王で、ヘブライ語で「破壊の場」「滅ぼす者」「奈落の底」を意味する。日本語では「アバドーン」とも表記される。
5番目の天使がラッパを吹く時に、「馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ」姿での群れを率いる天使として現れ、人々に死さえ許されない5ヶ月間の苦しみを与えるという。蝗害が神格化されたものだと考えられている。


また奈落の主とも言われ、奈落の鍵を管理していて、千年の間サタンを閉じこめていた。
キリスト教などでは堕天使の一人とされ、ルシファーと同一視されることもある。
一般的には悪魔としてのイメージが強くサタン、サマエルと同一視されることもある。また悪魔の支配階級としてではなく、底無しの穴、深淵などの同義語として使用されることもある。
ギリシア語では「破壊者」を意味するアポリュオン(Apollyon) 、アポリオン(Apollion)、アポルオン(Apollon)と呼ばれており、一説ではギリシア神話におけるアポローン(Apollon)が自ら打ち倒したピュートーンと同一視されることによって零落した姿とも言われている。

以上のように、『ヨハネの黙示録』は、カタストロフィーやこの世の終わりだけを語るものではなく、その後に訪れる「千年王国」を経て、新しい世界の到来を示す救済の書です。しかし、その救済の前に起こる破滅的な災害の模様が、想像を絶する衝撃的な内容であるため、「黙示録」は「世界の終わりの大災害」とイコールとなってイメージされるものと考えられます。

「獣の数字」の謎が有名になった

『ヨハネの黙示録』に登場するエピソードには、「七角七眼の子羊」「ラッパを吹く天使」など、象徴的・神秘的でかつ印象的な架空の動物や天使が登場します。その中でも「獣」と「獣の数字」が人々の想像力をかき立てました。

『ヨハネの黙示録』には、十本の角と七つの頭を持つ、海から上がった「獣」と、二本の角を持ち、竜が吠えるように語る、地中から上がった「獣」という二匹の獣が登場します。そしてその獣の数字は「666」であり、その意味を考えよ、と記されているのです。なお、獣は、サタンとともに滅ぼされます。

獣の数字についてはいくつかの解釈がありますが、紀元1世紀に暴君として恐れられていた「皇帝ネロ」を指すとする説が有力です。当時、キリスト教徒を迫害していた「獣」であるローマ皇帝を打ち破り、神は新しい世界を作り直すことを示しているとされます。

 

参考ー

「黙示録」の意味とは?成立時期や『ヨハネの黙示録』と獣も紹介